1990年代ヒットメーカーとなった小室哲哉はその音楽制作にマーケティング的な手法を取り入れました。 それにより、時流を巧みにとらえ、ヒット曲を連発しました
小室哲哉は、1994年「恋しさとせつなさと心強さと」(202万枚、篠原涼子)、1996年「DEPARTURES」(229万枚、globe)、1997年「CAN YOU CELEBRATE?」(230万枚、安室奈美恵)といずれもダブルミリオン(200万枚超)を達成し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、ヒット曲をきら星のごとく次々と世の中に発表していました。
小室哲哉は、作詞、作曲、編曲、アーティストのプロデュース等をこなし、小室哲哉サウンドは、1990年代の音楽業界に疾風をまきおこしていました。
バブル経済が泡のように崩れ、世の中は不況のどん底でしたが、CD(コンパクトディスク)市場だけは1998年まで所謂右肩上がりという成長を続けていました。
その成長を支えた大きな要因は、当時10〜20歳代の若い人に広がったカラオケ・ブームでした。
小室哲哉サウンドが、このブームに確実に乗り、その原動力となったことは間違いの無い事実です。
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ヒット曲の重要な要素は「歌い易く上手く聞こえる」ということになり、熱心な音楽ファンだけでなく、カラオケで歌う楽曲を欲して、音楽ファン以外もCDを積極的に購入していました。
音楽業界は、「聴き手が求める音楽」が「作り手が送り出したい音楽」より優先されることになり、その制作にマーケティング的な手法が取り入れられるようになりました。
CD音楽市場の成長をバックボーンとして、湯水のように広告宣伝費を使って、次から次へと新しいアーティストを世の中にデビューさせていきました。
そんな時流を小室哲哉サウンドが巧みにとらえたのです。
小室哲哉は、自らの小室哲哉サウンドについて、2001年当時、「自分は自らの創作衝動だけで音楽を作りません。受け手の反応を必ず計算しています。音楽スタイルや最新の制作技術と若者の仲人みたいな存在だと思っています。」と話していましたが、まさに小室哲哉の音楽観と小室哲哉サウンドを象徴する言葉だと思います。
小室哲哉サウンドは、シンセサイザーを中心としたはなやかな音作り、親しみ易い旋律に、大胆にダンスビートを取り入れ、ダンスに興味を持つ若者達をも取り込んでいきました。
また、小室哲哉サウンドは、globeや安室奈美恵らのいわゆるJ−POPの台湾や中国等の東南アジア市場への進出にも大きく貢献しました。
小室哲哉サウンドは、音程が高めの楽曲が多く、歌唱すると高音が心地よく響かせられるように、緻密に計算されていると言われていました。
また、小室哲哉サウンドは、アイドル的な存在のアーティストを数多く育てました。
1998年をピークに、「流行に乗り遅れないため」「他人よりも一日でも早くカラオケで歌うため」という動機でCDを購入していたファン以外の購買者が離れていってしまい、小室哲哉サウンドを支えてきた大掛かりな宣伝手法が駆使できなくなりました。
小室哲哉は、芸術家というよりは、ヒットメーカー的な才能の持ち主だったと言われています。
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